シュラシュシュシュ
金刀比羅宮
〒766-8501 香川県仲多度郡琴平町892−1
「金刀比羅宮」
全国に約600社ある「金刀比羅神社」「琴平神社」または「金比羅神社」の総本宮です。
ご祭神は「大物主命」と「崇徳天皇」
その最大の特徴は、御本宮まで続く長~い石段です。参道入口から御本宮まで石段の数は785段(奥社まで行けばなんと1,368段)。登るのはもちろん大変です。こんな感じの急な階段を登るんですよ~。疲れるぅ。
明治時代初期の神仏分離以前までは「金毘羅大権現」として以降「さぬきのこんぴらさん」の名で親しまれていたそうです。
真言宗象頭山のお寺の一つに「金毘羅大権現」を祀っていましたが、神仏分離・廃仏毀釈が実施されて「象頭山金毘羅大権現」を「琴平山金刀比羅宮」と改称して神道の神社に。
なぜ「象頭山」と呼ばれたかというと、山の形が象の頭に見えたことや、釈迦がいたインドの伽耶山も象頭山と呼ばれその形が似ていたからだそうです。
戦国時代には讃岐の三好氏等と戦を繰り広げて勢力を拡大していく土佐出身の長宗我部元親が、象頭山を讃岐の拠点にしようと侵入してきます。
しかし、豊臣秀吉の軍と戦うこととなり5年ほどで長曽我部勢力は讃岐から撤退し土佐一国に押し戻されます。讃岐国侵攻をする長曽我部によって多くの古い記録が焼失したり象頭山も荒廃したそうですが、長宗我部退却後は生駒藩や松平藩から保護され寄進を受け繁栄していった歴史があります。
江戸時代中期に入ると全国の庶民の間へ信仰は広がり、各地で「金毘羅参り」が盛んになり「伊勢神宮」へのお陰参りに次ぐ庶民の憧れだったそうです。
しかし何と段数の多い石段なのでしょうか。山の中腹まで続いています。でもでもです、途中に踊り場や休憩できるような場所もあり、一休み一休み。登り始めはのときは階段の両サイドに出店があって、活気があります!
現在では海上交通の守り神として信仰されていますが、金刀比羅宮の近くは通過するけれど金刀比羅宮へ参詣できない船の乗組員等はお酒を入れた樽に「奉納 金刀比羅宮」と書いた白幡を付けて船から海に落とすそうです。
それを見つけた近所の漁師たちは拾って代わりに金刀比羅宮に奉納する「流し樽」という風習があるそうです。素敵ですね。カッコいいとはこのことです。
民謡「金比羅船々」は江戸時代末期に流行った今でも有名な詩ですね。追風に帆かけてしゅらしゅしゅしゅ~♪
最初に見えてくるのは、「表書院」そしてこちらが初めて参拝した人が御本宮と勘違いする程の荘厳な建物「旭社(あさひしゃ)」
金毘羅大権現時代に金堂だった建物で、全体に彫られた細やかな彫刻は見る物を圧倒する美しさです。マジです。下から覗き込むとよくわかります。なんと凄い木組みの美しさよ。ってね。ここまでの段数は「628段」。
旭社の右側に先へと続く急こう配の石段が・・・。しかしここまで来たからには、と意気込み最後の力を振り絞って進むのです。全行程でも最も急角度の石段が133段も続くという苦行のような坂ですが、一歩登る毎に少しずつ御本宮の社殿が見えるようになるのです。
毎年、この石段を利用した「こんぴら石段マラソン」が開かれているというから驚きです。
ようやくたどり着くと、まず「酸素欠乏」でふらふら。ははは。情けない。
そして御本宮にお参りします。大物主神(おおものぬしのかみ)と崇徳天皇を祀る御本宮には、海上守護・農業・殖産・医薬など、様々なご利益があると伝えられています。