我ら同士達は何時戦死するかわからない
招魂の場
〒750-0061 山口県下関市上新地町2丁目6−22
現在の日本があるのは、多くの先人の方々が命がけの行動と崇高な志に支えられ、またそれを成し遂げた奇跡だと改めて感じることができました。
「櫻山神社」この神社は高杉晋作の意向によって築かれた神社です。祀られているのは、吉田松陰から奇兵隊に至るまでの維新志士。
総勢391の霊標が立ち並び招魂場となって後、桜を植えたことからこの名がついたそうです。
異国(過去に見たことのない強大な勢力)からの侵略を防ぐため、その大志によって突き進み、ただただ忠実に生き、朝敵となってもなお、前へ前へと突き進む行動力の強靭さは誰もまねできるものではないと思います。
私利私欲ではないところが肝心です。わが命を、自分以外の誰かの為なら捧げても良いとの覚悟が見て取れます。その時、その場に居合わせた者達にしかわからない覚悟であったかもしれません。
この時代に生きた女性も、強く生きることを余儀なくされたことでしょう。明日、最愛の人が死人となってしまう恐怖と、隣り合わせの毎日を過ごしていたことでしょう。
高杉晋作は言いました。「我ら同士達は何時戦死するかわからない。皆互いに予め生きているときに自分の墓を作っておくことはよいであろう」と。
その墓には遺愛物を各々が埋め納めて分霊として、長く同志たちとともに招魂の場としよう、と作られたのがここの招魂場です。
一番正面には「松陰吉田」の名前が、その脇を固めるように「高杉晋作」と「久坂」の文字が刻まれていました。