岩に手形を残した
新政府軍の直轄地
〒020-0023 岩手県盛岡市内丸1−1−37
わんこそばでお腹がはち切れそうな状況を打破するため、向かった第13の目的地がここです。ここで跡地をぐるりと散策して歩き回ります。
ここは岩手県盛岡市内丸1 岩手公園内です。盛岡城跡初代盛岡藩主、南部信直は安土桃山時代に豊臣秀吉から南部七郡の領土を認められています。秀吉の重臣であった浅野長政の助言もあり、不来方に居城を移転。
不来方(こずかた)とは「かつてこの地には羅刹と呼ばれる鬼がいて、人里を荒らしまわっていたため、困った里人が三ツ石の神にお願いしたところ、鬼は神によって捕らえられ、この時鬼が神に二度とこの地に来ない証として、岩に手形を残した」と言い伝えられているそうです。
これが後の「岩手」と称される由来とか。
その後、明治維新後の戊辰戦争にて、盛岡藩は降伏し、盛岡城は新政府軍の直轄地となり廃藩置県で盛岡藩は盛岡県となります。
さらに時が過ぎ、陸軍省所轄となった建物はその大半を取り壊されてしまいます。残念です。
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心」石川啄木の歌碑です。
当時、お城から200mと離れていない盛岡中学校で学んでいた石川啄木が、窓から抜け出してここで書物を読みふけっていたそうです。
櫻山神社(改修工事中で中には入れませんでした)
烏帽子の形をした盛岡市民の守り神がありました。この岩は南部信直公がこの地に築城する際に出現し、瑞兆(ずいちょう)と喜んだそうです。
それ以来、「宝大石」として大切にし、この岩の前で神事が執り行われてきたそうです。
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