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新選組局長 近藤勇


 

孤軍援絶作囚俘

 

〒965-0812 福島県会津若松市慶山

この句は誰のものでしょうか。第2の目的地。天然理心流四代目宗家と言えば、幕末の京都にその名を轟かせた新選組局長 「近藤勇 辞世の句」です。


壬生浪士組の後、新選組として京都守護職松平容保のもと、会津藩の支配下にありました。

その後、鳥羽伏見の戦いで、激闘の末捕縛され斬首刑に処せられ、最後はその首を京都三条河原にさらされたとか。


それから同志であった土方歳三によって遺髪をここ会津若松市内に葬ったとされているようです。

ここにたどり着くまでに、少し迷いました。なんせ道らしい道がなく、途中倒木があったり、落ち葉で埋め尽くされており、「こんな山の上にあるのか?」って断念しそうになりました。


諦めず探し続ける事1時間ほど、お墓の位置を示す矢印の看板が目にはいて、ようやくお参りする事が出来ました。

1867年10月 将軍:徳川慶喜により大政奉還が決行され、尊王攘夷派と幕府軍、のちに新政府軍対旧幕府軍との戦いが続き、1年にわたる戊辰戦争を迎えることになります。

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