日本の地獄
地獄にはいっぱい人がいました
〒874-0000 大分県別府市大字鉄輪559番1
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別府と言えば「地獄めぐり」 ですね。おっおー。なにやらヤバそうな雰囲気ですが。
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そもそも、別府と聞けば、温泉都市で湯煙があちらこちらで立ち昇る風光明媚な景色を連想する方も多いのではないでしょうか。
「泉都」とも称される別府市は鶴見岳と伽藍岳(どちらも活火山)があり、そこから湧き出るお湯の源泉数と湧出量が日本一!なのです。
驚くべきはその泉質が多岐にわたる事。(単純温泉・二酸化炭素泉・炭酸水素泉・塩化物泉・硫酸塩線・含鉄泉・含アルミニウム泉・含銅泉・酸性泉・硫黄泉・放射能泉)※放射能泉は入浴用途には利用されていません。
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別府市内の火男火売神社にて温泉を恵む神として「火之迦具土神」と「火焼速女命」の男女二柱の神が祀られています。
余談ですが、調べによると日本神話の神「伊邪那岐」と「伊邪那美」の間に生まれた神が「火之迦具土神」。日本書紀では「軻遇突智(かぐつち)」と呼ばれる神なのですが、出産時、火の神であったために伊邪那美を大火傷させて死なせてしまい、激昂した伊邪那岐によって殺されたそうです。
驚くべきは、火之迦具土神の流れた血から8神、その死体から8神が生まれたとか。
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別府温泉は既に鎌倉時代には湯治場として利用されており、後の戦国武将「大友宗麟」の先祖である大友頼泰はこの温泉をしっかり整備させていたそうです。
江戸時代には、幕府御用達で専売品として「明礬(消臭剤・制汗剤)」が独占的に生産され、竹細工なども国の伝統的工芸品として指定されるなど、温泉からの副産物でも活気をみせていたそうです。
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街のあちこちで見かけるキャッチフレーズ「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」
明治時代には別府と大阪を結ぶ蒸気船が航行するようになり、その後船の数が増え続け、瀬戸内航路は大混雑したそうです。
明治44年には別府駅が開業し、財界人の別荘なども多く建造されたそうです。ここまで発展した裏には試行錯誤された方々の活躍もありました。
現在のように車が盛んに走り回れる道路事情ではなかった当時、油屋熊八氏が経営する亀の井遊覧自動車が女性バスガイドを率いて運行したところ、爆発的人気を生んだとされているようで、現在のバスガイドの生みの親だそうです。
この方が「山は富士~」と詠みあげたとか。凄いですね。
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ドイツ軍が北欧侵略を進め、次いでオランダ・フランスへも宣戦し、イギリスがアイスランドに侵攻。
当時日本も中国を攻撃した1940年には、旧日本海軍連合艦隊が1万トン級の艦隊を別府湾に入港させ、別府市内は将兵で一色となったそうです。
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そんな歴史を搔い潜り、戦後の高度経済成長の波にいち早く乗り、平和な日本の象徴となるべく、別府は新婚旅行や就学旅行の観光地として再生してゆきます。
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発展躍進し続ける別府の温泉景気も次第に陰りが見え始めます。
1976年にピークを迎えた後、1980年には観光客が80%まで落ち込みます。
1910年に海地獄が施設を整えて入場料を徴収したのが始まりだった地獄温泉巡りは、その後10年に渡り、温泉の泉源を求めてあちこちでボーリング工事が進められ多くの温泉が湧きだしました。
が、「あまりのも多く掘りすぎた」ため、湧出量が低下する事態も相次ぎ、新規の開発はできなくなりました。
その後も、「湯の枯渇が深刻化」して閉鎖、消滅しているところも多くあります。
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そんな中、平成8年8月8日8時8分8秒に地元の有志達が「別府八湯独立宣言」なる発表が。
それぞれの温泉の魅力の発信に取り組み、一方では行政と協力して、老築化した温泉のリニューアルや街並みの整備にも乗り出しています。
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「別府八湯」とは
一.別府温泉発祥の地で鎌倉時代初期より発展「浜脇温泉」
二.伊予国風土記にも登場「別府温泉」
三.江戸時代の豊国紀行に登場「亀川温泉」
四.鎌倉時代に一遍上人が整備したと伝えられる「鉄輪温泉」
五.鎌倉時代に海抜150mの山頂に存在し、杉乃井ホテルで名高い「観海寺温泉」
六.江戸時代に由布院や日田へと通じる街道沿憩いの場として開かれた「堀田温泉」
七.895年に醍醐天皇、1044年に後冷泉天皇が病気治療に訪れた「柴石温泉」
八.江戸時代には明礬の採取地で質量ともに日本一となった「明礬温泉」
の計「八湯」を指します。
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「海地獄」写真でも見て取れるコバルトブルーの美しい地獄。水温はなんと98度でほぼ沸騰しています。
竹かごに入れた卵で作る温泉卵が有名で、足湯があり国の名勝に指定されています。
「鬼石坊主地獄」こちらも一目瞭然、湯底から99度の熱泥がたぎって僧侶の頭のように丸くつるんとした様子からそう呼ばれているようです。
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「かまど地獄」竈門八幡宮の大祭りで神前に供えるご飯を炊き上げていたことから命名されたそうです。ちなみに温度は90度 地獄の1丁目から6丁目まであります。
「鬼山地獄」 こちらの地獄は、一見、他の地獄と違って、湯煙が上がっていると言ったイメージはないですが、代わりに大きな鰐があちこちに居て、この中に放り込まれたらまさに地獄絵図の出来上がりです。
あたたかな水温で約100頭の鰐が飼育されていました。
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「白池地獄」乳白色の温泉らしい色ですが、温度は95度で相当熱いです。面白い事に、噴出時は透明色なのに外気に触れると白濁するようです。
こちらも国の名勝に指定されています。
「血の池地獄」最も地獄らしい命名です。足湯もあるのですが、「血ノ池軟膏」たる皮膚病薬が売ってます。塗るのに勇気が・・・。
こちらも国の名勝に指定されています。温度は他と違って少し低く78度だそうです。
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「龍巻地獄」最後に最高温度101度の温泉で、地下深くで熱せられた湯が30分程度の間隔で、垂直に噴き上げてきます。
こちらも国の名勝に指定されています。見ごたえたっぷりの地獄めぐりはお勧めですよ。
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