城主 加藤清正
熊本城
〒860-0806 熊本県熊本市中央区花畑町2丁目15
昨年訪れた工事中の熊本城前です。あいにくの天気でしたが、何とか見学できる所だけ見て回る事が出来ました。
熊本城は、豊臣秀吉のいとこである城主 加藤清正により1607年築城されました。
世は戦国の真っただ中。荒れ果てた肥後の地を治山治水の工事に着手し、領地経営を立て直しました。
そののち、二代目城主は細川 忠利となります。1993年8月に発足した第79代内閣総理大臣 細川護熙氏の先祖ですね。
時代は流れ、明治時代には明治10年に西南戦争勃発。260年続いた江戸幕府に大政奉還せしめ、新政府を樹立後、中央政府は廃刀令等の武士の特権を奪う政策に次々と着手し、この時代の流れについていけない武士たちが「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」を起こします。
火種は大きくなり、とうとう西郷隆盛は新政府軍との戦に乗り出すことになります。実質この戦争が日の本から武士と呼ばれる特権階級を消滅させ、国内最後の内戦が始まったことになります。
西郷軍は、熊本城に配備された熊本鎮台(約4000人の兵が常駐)の包囲に取り掛かります。西郷軍約14000人 残念なことに熊本城はあまりにも大きく広大な敷地であった為、完全包囲はできませんでした。
しかも、この内戦を予期してか、十分な武器弾薬や食料等がすでに城内に運び込まれており、激闘の末、籠城戦を打ち破る事が出来なかったのです。※鎮台とは、日本陸軍の編成単位
築城主である加藤清正がもしこの内乱を知ったなら、どちらにお味方したのでしょうか。
「わしは一生の間、人物の判断に心を尽くし、人相まで勉強した。しかし、結局は解らなかった。ただ言えるのは、誠実な人間に真の勇者が多いと言う事だ」であるなら
鎧兜を手繰り寄せ「たとえ後に罪を得ようとも、座視しているわけにはゆかぬ」でしょうか。
それとも「人は一代、名は末代。天晴武士の心かな」の構えを見せたでしょうか。
平成28年に起こった熊本大地震で、熊本城の石垣は一部崩れ落ちてしまいました。
この石垣は戦の際、武士はもちろん、忍者ですら登る事が出来ない「武者返し」と呼ばれる特徴があります。さすが難攻不落のお城ですね。再建したら改めて訪れたいと思います。
紅組
〒860-0845 熊本県熊本市中央区上通町7番29号
そうこうしていると、やはりお腹が減ってきました。やって来たのはココ 熊本拉麺「紅組」
注目は御鉢の「赤」の一字。店名に負けないスープの色。
九州地方で拉麺なら、やっぱりこってり豚骨スープだし。香り髙き焦がしニンニクの油を隠し味に、ストレート麺にも拘らずダシが絡みつきしびれる味。
本場の「肥後もっこす」を頂けるのはここ熊本拉麺の王道をゆく「紅組」ですね。
単品メニューも豊富です。このキュウリは悪魔的にいくらでも食べられます。食べすぎにどうぞご注意くださいませ。
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