別名「舞鶴城」
舞鶴城
〒847-0016佐賀県東城内8番1
今回訪れたのはここ「唐津城」 唐津城は、豊臣秀吉の家臣「寺沢志摩守広高」によって、慶長7年から約7年の歳月を費やして築城されたそうです。
東西に伸びる松原が両翼を広げた鶴のように見えることから、別名「舞鶴城」とも呼ばれているそうです。
ところが、まさに戦国の世。生き残りをかけて選択した天下分け目の大戦「関ケ原の戦い」において石田三成率いる西軍ではなく、徳川家康率いる東軍に加勢。
そして勝利した暁には12万3千石の外様大名になります。最終的には、島原の乱に遭い息子は城内にて自害、子供もいなかったためお家は断絶してしまいます。
余談ですが、石高とは何でしょう。1石=大人一人当たりの米の年間消費量、と定義されているようです。
豊臣秀吉が太閤検地を行って、全国の米の生産量を升を使って初めて統一基準で測りました。当時は結構いい加減だったようですが。
こうして国持大名に名を連ねます。
そもそも、3万石程度では城を持つ事が出来なかったようです。
1級大名:国主 加賀藩(石高ランキング1位)や島津藩(2位)、伊達藩(3位)
2級大名:准国主 柳川藩や宇和島藩は立派なお城がありましたが、4級以下の家にはお城がないんです。
藤の花がきれいに咲き誇っています。樹齢は100年を超えるらしく、市の天然記念物に指定されているとか。
目前には城下町が広がり、松浦川から唐津湾に流れ込む高台に位置するため、天然の要害であったことでしょう。
ここ唐津には、日本3大くんちの一つ「唐津くんち」なる秋季例大祭が毎年開催されています。「エンヤエンヤ」・「ヨイサヨイサ」の掛け声で大きな曳山が町中をうねり歩きます。長崎くんちや博多くんちも見てみたいですね。
各町を代表する14台の曳山は、曳山展示場にて見学する事が出来るようです。九州北部にはたくさんの「くんち」が存在していおります。
唐津観光協会 ホームページより
https://www.karatsu-kankou.jp/feature/karatsukunchi/
宵曳山(よいやま)提灯の灯が浮かぶ幻想的な曳山
御旅所神幸(おたびしょしんこう)一番の見どころは「曳き込み!」
翌日祭(よくじつさい) エンヤエンヤ、ヨイサヨイサでフィナーレ!
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