世界三大美女
小野小町の梅園
〒607-8257 京都府京都市山科区小野御霊町35
「楊貴妃」・「クレオパトラ」と並ぶ世界三大美女と称された平安時代の女流歌人「小野小町」には多くの「謎」があります。
まず誰の子で、どこで育ったのかがわかっていません。そもそも「小町」自体が名前ではなく役職等を表したものらしい。清少納言や紫式部も同様です。
天皇の妻にはそれぞれ階級があり「皇后」「中宮」「妃」「女御」「更衣」の順。小野小町は「更衣」であったとされています。
「才色兼備」でもあったそうで当時右に出る女性はいないとまで言い伝えられています。
「賢くて美しい」そりゃあ男どものあこがれの的でしょうし、女性からは嫉妬の的だったことでしょう。
ここは、小野小町が化粧をしたとされる井戸です。メチャクチャデカいですよね。まるでお風呂ですよ、この大きさは。
平安時代の美女の条件の一つに、「眉毛の位置」が挙げられます。目と眉の位置が離れていればいるほど美しいとされていたそうです。何時の時代も「美」への欲求は形はどうであれ、あったと言うことですね。
「お歯黒」もそのうちの一つです。笑った時に真っ黒なんですよ?不思議。
小野小町はそれは絶世の美女とされて、世の男どもの心を掴んで離さなかったそうです。しかし求婚されても全て断わり恋文を埋めた場所もあるとかで、その人気ぶりがうかがい知れます。
しかし、いつまでも続かないのが世の習い。政治に振り回され仕えた方が左遷されたことから表舞台から姿を消さざる得なくなったとか。晩年は一人寂しくその一生を終えたそうです。古今集にある代表作にはこんな詩があります。
「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」
「桜の花の色は、時間の経過と共にむなしく色あせてしまった、この長雨が降っている間に。同じ様に私の美貌も衰え、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに」と詠まれていることから女性であったことは間違いないでしょう。
「わびぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらば往なむとぞ思ふ」
「もはやこの世で暮らして行くのがとてもつらいので、我が身がいやになりました、浮き草のようにふわふわと根が切れてどこへでも流れるように、わたしを誘ってくださる人がいれば、どこへでもいってしまおうと思います」
なんとも物悲しい詩です。女性が男性に振り回されない時代が早く来ればよいと思います。そうなれば少なくても2倍の加速力で物事が進み、2倍の楽しい事や嬉しい事が増えるのではないでしょうか。
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